『崖の上のポニョ』を観る(2008年8月の記事)
- Keiro Hattori
- 4月8日
- 読了時間: 3分
6歳の次女と『崖の上のポニョ』を観に行く。まったく期待をしていなく、単なる子供サービスのつもりで観に行った。世間の評判はよいのは多少気にはなっていたが、人面魚の話でそんなにいい映画が出来るのか、という想像力の欠如からか、また前作の『ハウルの城』がそれほどよくもなかったので期待をしていなかったのである。とはいえ、宮崎駿がこの構想を練った場所が鞆の浦であることはひっかかっていたので観なくてはいけない、という義務感は持っていた。まあ、子供サービスに加え、この義務感から仕方なくという感じで観にいったのである。
ところが、これがまあ相当の傑作であったので大いに驚いた。宮崎駿の作品の中でも『ナウシカ』、『もののけ姫』に続くぐらいのよさだ。『千と千尋』と同じくらいの出来だ。まあ、ジャンル的には『ととろ』のような幼児の自然と共生するような世界観を舞台としたファンタジーではあるが、個人的には『ととろ』より感動した。それは、海を舞台としているためにアニメーションの豪華絢爛な色遣いが思い切って楽しめるということと、糸井重里の声がどうしても気になる父親を主体とする家族より、宮崎駿の理想像である母親を主体とした家族といったところに共感を持てたのかもしれない。ちなみに、主人公ソウスケの父親の声は長島一茂である。まあ、これも相当の大根声優だが、それでも糸井重里よりは個性的でないだけましだ。また、今までの作品と違って、アニメーションは相当、雑だ。前作まではアニメーションと実写とのギャップを埋めるような執念のようなものを感じていたが、今回はもう背景画などはむしろ、わざと手を抜いているような印象を受ける。もちろん、それはそれでヘタウマのような見事な味は出しているのだが、この雑さがむしろ荒唐無稽なストーリーにリアリティを与える効果をもたらしている。所詮アニメ、しかしアニメといった感じである。そして、今回もつくづくやられたな、と思ったのは、宮崎駿の作品は、もうここが決め所といったような場面があるのだが、その凄まじいほどの迫力というか説得力である。『千と千尋』でいえば、あの階段を千が転げ落ちるシーンや、ハクと飛ぶシーン、そして千がクチナシと一緒に電車で海を越えていくシーンがそうである。『ととろ』でいえば、姉妹が雨宿りをしている時にトトロが現れるシーンや、ととろが姉妹を抱いて空を飛ぶシーンなどがそうである。『崖の上のポニョ』でもそういう「決め」のシーンがあるわけだが、その中で特に強烈な印象を残したのはポニョが嵐をつくりだした波の上を不二家のペコちゃんのような無邪気な笑い顔で走っているシーンである。これは、滅茶苦茶強烈なインパクトを与えた。思わず、映画館でも笑ってしまった。よく、こんなシーンを描けたものだ。ストーリーもそうだが、宮崎駿の創造力は凄まじいものがある。オリジナリティとかは若者の専売特許だみたいなことが言われたりするが、この映画を観ると、そんなことはまったく嘘であることが理解できる。宮崎駿の頭の中には何が入っているのだろうか。凄い天才ぶりだ。天才といえば、話は飛ぶが、赤塚不二夫が逝去されたそうだ。彼も凡人では想像も及ばない大天才であった。ここにご冥福をお祈りする。
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