英語で一番、難しいのはスピーキングだ。そして、それは語彙が不足しているからだ。
- Keiro Hattori
- 4月7日
- 読了時間: 2分
更新日:11 分前
昨日、フィンランドのある大学の学長が私の働く大学に訪れて、学長に表敬訪問した。そこで、アテンドしたのだが、うちの大学のアメリカ人の職員がいるので私は通訳とかしなくても大丈夫だろうと思ったのである。というのも、この職員は日本で20年以上住んでおり、日本人と結婚しており、そもそも日本の大学で勤めているほど日本語ができるからだ。
さて、しかし、学長同士の会談が始まったら、フィンランドの学長の話をうちの学長に伝えるところは私にして欲しいと依頼してきた。私はすぐ合点がいって、そうした。つまり、うちの学長の日本語はアメリカ人の職員が英語で訳し、フィンランドの学長の英語は私が日本語に訳したのである。
なぜ、合点がいったのか。それは20年以上日本に住んでいても日本語を訳すことは難しいからだ。いや、彼女の日本語はほぼ完璧に近く、電話で話したらアメリカ人だとは思わないだろう。しかし、通訳であると場合によっては英語では分かっていても日本語にすぐ転換できないという場合があり得る。これは、もちろん私でもあり得るのだが、私の方が日本語の語彙が多いので、その確率は低い。逆も然りである。私は彼女のような英語の豊富な語彙を擁していないので、的確に日本語を英語に訳せるかというと自信がない。彼女はしっかりと、相当、うちの学長の難しい日本語を英語に訳せていたが、なかなか私ではああはいかない。
しかし、この会談後、このアメリカ人の職員は、私のように日本語では訳せなかったのでとても助かった、と言ってくれた。まあ、そういうことなのだろう。さて、この体験から分かったことは、本当にスピーキングは難しいということだ。そして、そのスピーキングのどこがハードルになっているか、というと語彙である。ということで英会話教室に行くのが無駄とまでは言わないが、何しろ、語彙。そして、その語彙の基盤となるのは母国語の語彙量だ。ということで、日本語の勉強も極めて重要ということを改めて認識する。スピーキングをする前に日本語、英語の本を読まなきゃ。
最新記事
すべて表示吉川元忠と関岡英之の対談集『国富消尽―対米隷従の果てに』(PHP研究所)を読む。混迷した現代日本で生きていかなくてはならない我々が、読むべき名著である。そこには、今まで私がおかしいな、と感じていた事象について、その背景をしっかりとした事実を元に相当、論理的に説明してくれる。...
Comentarios